ラブバム

〜 Love's photographic records 〜

2017年1月22日 山頂公園。

 17年しょっぱなのお出かけは多度山(たどさん)!

 1カ月前も登ったのですが、太古の昔から多度山全体が御神体だった歴史のある山、歯石除去とイボ取りの手術をした御礼参りをして感謝を伝えました。

 ご覧の通りの雪山登山で復帰早々にはキツかったかもしれませんが、終始ニコニコで運動制限のストレスを発散した模様。

 積雪から1週間経っていましたが山頂は一面銀世界で巨大な雪だるまも制作してあり、4歳児の雪山登山と雪遊びもできて言うことなしの1日でした。

 風邪ひかぬよう、早めに帰ってぬくぬくしました。
2017年3月5日 松尾山。

 多度山から1カ月半近く期間が空きましたが、息子も連れ、登山しまくり、シーズンの最後にやってきたのが岐阜県の関ケ原にある松尾山。

 天下分け目の関が原の戦いのキーパーソンとなった小早川秀秋(こばやかわひであき)が陣をとった場所。現在も陣跡といった遺構も残っており、頂上はご覧の絶景!

 関ヶ原で一番の絶景といっても過言でもなく、三角点前にある特等席のベンチに座ってパンを食べました。

 バックにある雪山は伊吹山(いぶきやま)で、標高292.9mの低山のこちらでも残雪があり、姉弟で最後の雪遊びを楽しみましたとさ♪
2017年3月5日 大谷吉継。

 松尾山登山後にやってきたのが大谷吉継(おおたによしつぐ)さんの陣跡。

 パネルの犬みたいな大谷さんの目線にあるのは松尾山!目と鼻の先にあります。

 松尾山にいた小早川秀秋隊1万5,000人が寝返り、山の上から大谷隊を攻撃。

 小早川秀秋の裏切りを予測してあらかじめ秀秋と三成の間に布陣をした大谷隊は小早川隊を何度も山へ追い返しましたが他の隊の裏切りもあって万事休す、切腹し、陣跡から数百mのところに彼の墓があります。

 昨年末にも訪れたのですが、目の前にJRと新幹線も通るので(コ鉄編17参照)、息子を連れて再訪し、私がラブを抱いてパネルにはめ、息子にこの写真を撮ってもらいました♪
2017年3月5日 船頭平閘門。

 最後は船頭平閘門(せんどうひらこうもん)は、愛知県の県境、木曽川と長良川の間をつなぐ閘門。

 木曽川・長良川・揖斐川(いびがわ)は下流部で合流するため木曽三川(きそさんせん)と呼ばれていて、合流する周辺地域は洪水等の水害が絶えず、江戸時代、薩摩藩士が治水工事にあたってくれましたが、根本的解決になったのは明治時代に三川分流工事を行ってから。

 その時できた木曽川と長良川の間をつなぐ水路が建設されたのが画像の施設。

 両河川の水面の高低差は約1メートル、その差の調整をしたのがこの閘門ってわけ。みんなで見た閘門♪

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