ラブバム

〜 Love's photographic records 〜

2009年2月11日 田原城。
 
 城めぐり三河編です!田原城は渥美半島を支配していた戸田氏によって建てられましたが戸田康光・堯光の父子が、今川への人質として松平竹千代(のちの徳川家康)を護送中に寝返り、敵方の織田へ引き渡してしまったため、今川義元の怒りを買い、攻め込まれてしまいました。

 この義元が織田信長に討たれた後は家康によって攻略され彼の家臣、本多広孝が城主となりました。

 田原城は蔵王山麓を利用して築かれ、現在は城のあった場所が歴史博物館や学校、神社になっており、その端っこにひっそりと佇んでいます。小さな城ですが、石垣や二の丸等の遺構も多くみることができますよ〜。
2009年2月11日 吉田城。

 吉田城は牧野成時によって今橋城として築かれました。その後は松平と戸田が争奪戦を繰り広げていましたが、松平も戸田も今川義元の軍事力に屈しましたが永禄3年に桶狭間で今川義元が織田信長に討たれると、永禄7年に松平(徳川)家康によって攻略され、彼の家臣、酒井忠次が城主となりました。

 天正18年、家康が秀吉によって関東へ移封(今でいう左遷)された後は池田輝政この地を治め、輝政が去った後は旧主の戸田(尊次)に戻り、最終的に吉田藩のものとなるというなんともややこしい運命をたどる城です。 当日は鬼祭り開催のため中に入ることができましたっ!

 ワンコは入れないけどね!
2009年2月11日 西尾城。

  西尾城は酒井重忠ら徳川家康の配下の家臣が治めていましたが吉田城同様、家康の関東移封に伴い、田中吉政の持ち城となり、最終的に松平の居城となりました。

 この西尾城、本丸でなく二の丸に天守が建てられた珍しいお城で表から見ると非常に立派なんだけど、裏にまわってみると石垣の上にちょこんとのっているだけのこじんまりした城です。ぜひ裏に回ってみてみてください!

 日記コーナーには裏口画像がありますよっ!
2009年2月15日 挙母城。

  豊田市美術館を中心とした文化施設の隅っこに建てられているのが挙母(ころも)城。

 挙母城は江戸中期に内藤政苗が築城した比較的新しい城。「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから七州城といいましたが吉田城のように最終的に挙母藩のものとなったのでこの名がつきました。

 画像が粗いのはケータイ画像だからです。カメラ忘れてごめんなさい。

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