ラブバム

〜 Love's photographic records 〜

2008年3月18日 犬山城。
 
 ラブとの城めぐりもいよいよクライマックスです!

 犬山城は江戸時代に建造されたままの現存天守を持つ非常に貴重な城で代々織田家の居城でした。

 戦国時代、この犬山城の城主争いが小牧・長久手の戦いの引き金にもなりました。 貴重なのでやっぱりワンコNG。

 長良川の河川敷から苦労して撮影した一枚は後日、『コーギースタイルVOL.21』に掲載されました。ありがたいことです。
2009年2月22日 伊勢亀山城。

 関宿に近い亀山は東海道の交通の要であり、亀山城はその関氏の本城でありましたがその後は伊勢亀山蕃の居城となりましたが江戸時代初頭に丹波亀山城(京都)の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴のカン違いによって、この伊勢の亀山城天守が取り壊されるという悲しい過去を持っている城です。

 また当時の亀山城は幕府の旅館としての役割も果たしていて家康や秀忠、家光が泊まったそうです。

 2007年4月の三重県中部地震にこの石垣の一部が崩落しましたが崩落したのは1972年の台風被害で補修した部分のみで、江戸時代のオリジナル部分には一切損害はなかったんだからご立派です!
2009年3月19日 浜松城。

  前身は曳馬城といい、今川の家臣、飯尾氏の居城でしたが今川義元が信長に討たれたことで家康の手中になり、家康はこの曳馬城を改修して浜松城とし、岡崎城からここに移りました。

 三方が原で当時、戦国時代最強ともいわれた武田軍をこの城から打って出て、反撃に遭い、歴史的大敗をしたこともあって浜松城の拡張・改修はその後も行われ、天正14年に駿府城に本拠を移すまでの17年間、家康の居城となりました。

 そういう背景もあり家康が天下統一した江戸時代以降は浜松城主に幕閣への登竜門として大名が移封され、その後、老中になるケースが多く、出世城の異名もとっていました。
2009年3月15日 名古屋城。

  織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために築城し、以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家の居城となったのがこの名古屋城!

 名古屋大空襲によってそのほとんどが全焼してしまいましたが「尾張名古屋は城で持つ」の歌もあるように金シャチとともに名古屋のシンボルとなっています。

 これで愛知、岐阜、三重、滋賀、静岡の5県に渡って28もの城を紹介させていただいた「天下統一編」堂々の完結です!名古屋城を最後に紹介して「終わり名古屋」となりました。おあとがよろしいようでっ!

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